ネタばらしは、物語への感動の可能性を奪い去る、決して許されない犯罪行為
上記のtogetterに関しては、とりあえず意見保留。
書かれていることをざっくり説明すると、
・エピソード記憶中心の人は初見での感想を重視するためネタバレを嫌う
・意味記憶中心の人は初見で感想があまりわかないためネタバレを許容する
・エピソード記憶派は見たその場で感想を語りたがり、意味記憶派は見た直後では感想がわきづらい
→ 以下、それに対する各人の反応
という内容。
こちらで補足させてもらうと、まず人間の記憶には、言葉にできる陳述記憶と言葉にできない非陳述記憶がある。
たとえば、自転車の乗り方が非陳述記憶で、自転車に乗って旅行に出かけたときの思い出なんかが陳述記憶となる。
その陳述記憶を、2つに分けたのが「意味記憶」と「エピソード記憶」である。
で、意味記憶は概念的な知識であり、エピソード記憶は時間や場所やその瞬間の感情につながる記憶である。
たとえば、旅行に出かけたなら、出発前に学んで得た概念的な知識が意味記憶、旅行先で見た景色やその感想がエピソード記憶となる。
というわけで、旅行中にパンフレットを読みながら郷土料理を食べて、「おおー!この土地の産物はこれなのか。全国1位なんだなー」と、エピソード記憶を使いつつ意味記憶を蓄えることもできる。つまり、完全に排他的なものではないわけ。
なので、エピソード記憶中心・意味記憶中心とざっくり2つに分けているtogetterの話はちょっと乱暴かなと思う。
思うけれども、「そういう傾向があるよ」って言うなら、んー、分からなくもない。
この分野はあまり詳しくないので判断保留。
ちなみに、この二つの記憶を併用することで記憶力を高めるって方法が、よく記憶法などで紹介される。
勉強するときは「問題が解けたぜイイヤッホウッ!」ぐらい感情を高めると、エピソード記憶のパワーを使って記憶として残しやすいと言われている。
で、さて、前置きが長くなったけれど、togetterで面白いのは、ネタバレに対する各人の反応だ。
先に言っておくと、私はネタバレを絶対に許容できないタイプの人間である。
そんな私から見るとtogetterの以下のような反応は、
「完全に意味記憶だなぁ。ネタバレ全く気にしないし、」
「意味記憶中心だな~ネタバレとかほいほい見まくるもん」
すげえ……もう異世界人のようにしか見えない。
というか、今までの人生でも、このネタバレの許容度合いの温度差は何度も経験している。
本当に別の世界の住人だと理解するべきなのだ。感覚が違いすぎる。
そうやって配慮しあうことで、トラブルを未然に防ぐことができる。
ただこれは、ネタバレ苦痛派だと理解できている人が多いが、ネタバレ許容派だと「えっ、なにをそんな大げさな」と気にしない人が多い。
それが、さっき挙げたエピソード記憶のせいだ。
ネタバレがあったとき、ネタバレ苦痛派はエピソード記憶で深く刻みこんでしまうが、ネタバレ許容派はネタバレにたいした感情も抱かないので忘れてしまう。
でも、ネタバレ許容派は覚えておくべきだ。
ネタバレ苦痛派がどれほどまでにネタバレを憎み、そして悲しむかを。
私は物語の新しいページをめくるその瞬間瞬間が何よりも好きだ。
見たこともない世界が、思いもよらない展開が、そこには待っていて、私を驚かせて笑わせて泣かせてくれる。
ネタバレは、その最高の楽しみを奪い去る行為なのだ。
ネタバレ許容派がもしも軽い気持ちで物語の結末を話そうものなら、ネタバレ苦痛派はその衝撃を胸の奥に深く刻みこんでしまう。
それはエピソード記憶として長期記憶になって、意外なほど覚えられている可能性がある。
だから、「えっ、そんな昔の覚えてたの?」っていうような(当人にとっては)軽いネタバレで、おそろしいほどの恨みを買ってしまう可能性があるのだ。
どちらがいい悪い、とかはない。
けれど、ネタバレ許容派はエピソード記憶で残らない分、ネタバレ苦痛派の心の動きを意味記憶として残しておくと、無用なトラブルが避けられるわけである。
で、ここまで話して「知るかよそんなの」とか言うネタバレ許容派がいるならば、温厚な私も本気を出さねばならない。必殺マジシリーズを解放し、必殺マジ土下座を見せてやろうではないか!
マジお願いしますってーネタバレだけは勘弁してくださいよー。
って、冗談めかして言ったけど、けっこう本気で恨むからやめてね。いつか何かしらで返すよ――っていう、必殺マジ憎悪。