グッド大砲(大)

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「保育園落ちた日本死ね!(ニコニコ笑顔で)」

 うちのノートパソコンは、ディスプレイがタブレットとしてキーボード部分から取り外せるものなんだが、最近、ディスプレイとキーボードの接続部分が接触不良になって、しょっちゅうフリーズする。そんなとき「畜生!止まりやがって死ね!」と思ってしまう。でも、仕事中パソコンに死なれたら泣く。 こっちが死ねる。

 で、腹が立ったときの罵倒として、汚い言葉ではあるけど、つい「死ね!」は出てくる。なので、別に「保育園落ちた日本死ね」と言う人がいても、大変なんだなと思うだけだ。

 近所に犬の散歩で糞を持ち帰らないオッサンがいて、マナー守れんヤツはほんま死んだらええのにって思うし、家が観光地の近くなんで夜中に酒飲んで騒ぐ外国人はよくいて 、朝見ると玄関前に割れたビール瓶と放尿の跡があったときは外国人観光客ども死ねって思った。

 

 ……さて、上の死ね発言は許されるかな?

 もちろんこんなこと口には出さないし、こんな話題でなければネット上にも書かない。ネガティブな否定を書いてもプラスになる可能性は低い。

 でも、聖人君子でない私は腹が立ったら「死ねばいいのに」って思うときもある。

 それをどこまで表現していいのか?

 この許せるラインは人それぞれで、私はそこが面白いと思う。

 喘息持ちで苦しんでいる人「ありえんレベルの大気汚染しやがって中国死ね」

 トランプは100%ないと書いた記者「バカな投票しやがってアメリカ死ね」

 思春期男子中学生「勝手に部屋入るなんてお母ちゃんのアホ死ね」

 寝る前に黒歴史を思い出した私「あ、あ、あ、過去の私死ね舌かんで死ね」

 

 上の中で「中国死ね」「アメリカ死ね」は主語がデカいからいまいち不適切かな。まあ、それを言えば「日本死ね」も同じか。あと、お母さんは大事にしろ中学生。というわけで死ねばいいのは霊気功を操る14歳の私だけらしい。

 

 やっぱね、つらいことやイヤなことを前にすると、 多くの人が悪態をついてしまうと思うんだわ。みっともないので表に出さない方がいいと思うし、できることならネガティブな感情も抑えたい。

 でも、気持ちは浮かんでしまうわけだ。

 だとするなら、可能な限り自分の中で抑えこみ、それでも怒りがはげしくて耐えきれなかったら、主語が大きくなってないか批判の対象を間違えてないか注意して、「死ね! 」と口走るしかない。

 

 たとえば、オタクは挙動不審で気持ち悪いから死ねと言われたら、オタクである私は、そそそそんなん一部の人だけやから主語が大きいんです一緒にしやいでくれよな、と早口かつ身振り手振りで否定する。

 たとえば、保育園落ちた日本死ねと東京の人に言われれば、え、まあ、その問題についてはくわしくないし、怒るのも分かるけど、いきなり死ねって言われたら気分悪いわーってなる。

 

 受け止め方の違いは、ここだ。

 日本死ねって言われたとき、自分も日本の一部と認識しているか否かだ。日本の一部と認識して日本死ねと言うなら、自らを絶望的に悲観しているわけだし、日本と自らを切り離して言っているなら、愚かな日本に対する部外者の罵倒になる。

 

 ここでは別に、「日本と自分の同一視がいいか悪いか」を話したいのではない。

 そんなの価値観だ。

 私は、日本で生まれ育ったことが自分に影響を与えていると思っていて、日本の一部に自分が含まれていると感じている。

 かと言って、日本から自分を切り離して見る人を非難しようとも思わない。 国に縛られない自由な生き方ができて、それはそれでいいところもあるのだろうと思う。

 メリットデメリットがあって、人を傷つけるようなものでないなら、多様な考え方があればいいと思う。

 

 で、話を戻す。

 日本死ねを、自分を含む日本死ねと言うか、自分を含まない日本死ねと言うかって話だ。

 私は「日本死ね」という発言自体には、さほど不快感はない。外国人から、お前ら日本の英語教育はどうなってんだ、他の多くの国はきちんと話せるぞって怒られたら、ごめんなあ、 でも私に言われてもなあって気持ちになる。

 保育園落ちた日本死ねって言われてもなあ、かわいそうなんわかるけど、ごめん、そう言われてもなあ。でも、こっちはこっちの地域で考えていかんとなあ。ってなる。

 繰り返すが、自分と日本の同一視についてはここでは置いておく。

 それは価値観や信条であり、どちらが正当とかではない。 語りたければ別で語ってくれ。

 で、言いたいのは、「日本死ねと言われたら私はそう感じている」ってことだ。

 そして、その当人から他に拡散したあと、「日本と自分を切り離している人」からの日本死ねが不愉快に思うことが多いってことだ。

 

 それは罵倒だ。

 「日本死ね」を苦しんでいる人が口にするのはわかるけど、それを楽しげに「そうだ死ね死ね」と部外者から笑われれば不愉快になる。

 そう、流行語大賞のトップテン入りをして満面の笑みでそれを喜んで表彰されにいく人間が、そして、それと同じように日本を貶したいために「死ね死ね」と愉快そうに口走る人たちが不愉快なのだ。

 どうだろう、あなたが「日本死ね」というとき、怒りを覚えているだろうか、笑いが浮かんでいるだろうか。

 

 日本は完璧な国でもないし、解決しなければならない問題も山積みだ。保育園の問題にしろ他の問題にしろ、苦しむ人たちが少なくなるよう間接的にも日本の一員として、社会に関わっていくことが大切だと思う。

 でも、笑顔で日本死ねと言える人は、その問題なんてどうでもいいように思える。本気なら怒りながら、もしくは徒労感で呆れながら言うんじゃないのか。

 

 いろんな考えが知りたい。

 できれば、笑顔で日本死ねと言える人の論理を知りたい。

 どうか、いろんな人のいろんな考えを教えていただければと思う。