グッド大砲(大)

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優しい人たちのおかげで、私は両親を殺す

 とある記事に心を突き動かされ、数カ月ぶりに記事を書く。

 

 先日、はてなの匿名ダイアリーに書かれた以下の記事が話題になった。

anond.hatelabo.jp

 この記事では、抗がん剤治療での「60万超の治療費」に対して「実質1万5000円程度しか払っていない」ということへの憂慮が書かれていた。

(本筋とは関係ないが、書き手のこの憂慮はおそらく社会に対するものがメインであろうが、権利を享受することへの個人的な憂慮と多くの人に捉えられているのだと私は感じた)

 非常に落ち着いた筆致で書かれた、考えさせられることの多い記事であり、未読の方はぜひ読んでいただきたい。

 

 ただ、そこで気になったのは、読み手の反応だ。

 当該記事につけられたはてなブックマークのコメントでは、書き手の憂慮をフォローするコメントが多く見受けられた。

母親に結構な金が注ぎ込まれてる

増田の母親一人支えるくらいの余力はまだ日本にはある。親孝行しろ。

2016/08/24 08:48

b.hatena.ne.jp

母親に結構な金が注ぎ込まれてる

後期高齢者でなくとも高額医療費制度で現役の我々も毎月10万そこらで済みますし、大差ないですから気に病まれる必要はないと思いますよ。その分社会保険料は高く毎月払っているのですし、その為の制度ですから。

2016/08/24 08:14

b.hatena.ne.jp

母親に結構な金が注ぎ込まれてる

保険なんだしそれでいいのではないかと思う。自分もそうなるかもしれないし。

2016/08/24 08:34

b.hatena.ne.jp

母親に結構な金が注ぎ込まれてる

社会保障費が注ぎ込まれているのはがんだけじゃないから、そんなに思わなくてもいいと思うよ。

2016/08/24 08:35

b.hatena.ne.jp

母親に結構な金が注ぎ込まれてる

医療費・医療貿易赤字をどうするかは真剣に取り組まなくてはいけない問題なのだけれど、個々の患者さんに対しては出来るだけ元気で長生きしてほしいと思う。http://yusukenakamura.hatenablog.com/entry/2016/08/04/104323

2016/08/24 08:38

b.hatena.ne.jp

 これらのコメントを批判しようというわけではない。

 むしろ、どれも心優しくすばらしいコメントだと思う。

 取り上げていないコメントにも優しいコメントが多く、しかもただ甘いだけでなく、現状に対する問題も言及されていて、「さすがはてなー」と唸らされた。

 特に上記の、htxさんのコメントからリンクされたブログ記事には、「米国の医療費」に関する現場からの知見があるので、ご興味のある方はぜひご覧いただきたい。

 

 私も、こうしたコメントと同じように考える。

 個々人においては現状ある制度を活用し、可能な限り多くの幸せを掴み取ることが望ましいのだ。

 不幸なんて少ない方がいい。

 だけど、この記事の見事さ、寄せられたコメントの優しさ、そして、このコメントに揺り動かされた。

母親に結構な金が注ぎ込まれてる

必要な分だけ医療費が払われる。それが保険だ。気に病むことはない。一方増田や僕等これから高齢者となる世代には今と同じ医療を施される保障はないと覚悟したい。それだからこそお母さんを大切に。今は貴重な時間だ

2016/08/24 05:08

b.hatena.ne.jp

 そう。私たちには「覚悟」がいる。

 そして、その覚悟が現実のものとなるまで時間はかからない。

 だから、より現実感のある覚悟をしなければならない。

 

 いつか来る未来、私は、両親を殺す選択肢を選ぶことになるのだ。

 

 

 私には、七十歳手前の糖尿病患者の父がいる。

 今すぐ命に関わるほど重くはないが、十年先はおそらく危険な領域にいるだろう。

 私には、六十代半ばの病とは無縁の母がいる。

 母の血筋には八十代で亡くなられた方が多く、家族はまだ二十年は大丈夫と根拠薄弱ながら思っている。

 

 十年後、二十年後。

 そのときに現在の医療制度がそのままでないことは、確実だろう。

 死が迫った父母を前に、私自身の人生を破壊するほどの治療費を払って延命するか、両親の人生を終わらせると決断するか、そんな二択がおそらく待っている。

 その選択を突きつけるのは、現在の私たちだ。

 目の前の苦しむ人を救いたい、悲しみが減らせる優しさを持ちたい、その願う私やあなたの今の思いが、未来の破綻を招いていく。

 

 だからといって、元記事の人や今まさに保証を受けている方に負担感を覚えさせていいわけではない。

 今ある制度は社会が全体として決定したものだ。

 引け目を感じることなく、それを活用して少しでも幸せを増やしてほしい。

 

 ならば、私が考えなければならないのは何か。

 それはきっと選択の瞬間だ。

 

「○○歳以上には高額負担を強いる」

 たとえば、こんな方針が打ち出されたとき、それは間違いなく弱者切り捨てとなる。

 富豪以外の高齢者という弱者に死を迫るもの。

 何千万という治療費をポンと払えるほど私も父母も裕福ではない。

 だから、このような方針が示されれば、両親から延命という選択肢が奪われる。

 

 そのときこそ、覚悟が必要なのだろう。

 自らの両親を殺すに等しい方針を選択するか、先送りにするか。

 もちろん、「先送りにするな」と断言するわけではない。なんらかの解決策につながる正しい先送りの可能性があり得るかもしれない。

 だが、十中八九さらなる悲劇を招く。

 

 そのときに巻き起こるのは、正しさと正しさの戦い。

 目の前の苦しむ弱者を切り捨てるか、未来の悲劇の拡大を止めるか。

 正解はない。

 だから、そのとき冷静に熟考できるための覚悟を、元記事に対して「大丈夫」と声を掛けながら、その横で固める必要があるんだろう。

 

 

 とまあ、「覚悟、覚悟」なんて書いてはきましたけど、実際に選択を突きつけられたら死ぬほどテンパって冷静さを失うんでしょうけどね……。

 いちおう私は、「両親を死なせる決断を自らする」という可能性を覚悟はしています。現在の日本でも状況によってその選択を迫られている方もいらっしゃいますし、それが当事者になるというわけです。

 具体的に言えば、この五年以内で高齢者に対する治療費の大幅増がなされ、父の死を選ぶしかない状況を前もってイメージしています。

 皆さんはいかがですかね。

 どのラインで覚悟されてますかね。

 いや、私には見えていないだけで、覚悟など不要のよりよい解決策があるのかもしれませんが。それに世界情勢も含めた未来もどうなるか分かりませんし。

 可能な限り、この世に存在する不幸が少なくなることを祈るばかりですね。

 

 元記事のように、この記事も皆様の思考を刺激するものになれば幸いです。